火は熾きているか

まずは抵抗せよ。
様子見に終始していると、事態は悪くなることがほとんどだ。
太極拳は、争わないことが最終奥義であるけれど、
逃げ腰で争いに背をむけることではないのだ。

やさしい時代だ。
何かが大きく間違っている。
汗も恥もかかないで、本当の痛さを知る勇気を持てずにいるのか。

その弱さは、どう工夫しようが
武器になどならない。口当たりのよい言葉で飾っても
弱いままだ。

けれど正しく自覚できた弱さを、
弱き己の、精錬の火にくべる事で、
志(こころざし)を保つ役には
立つのだろう。

さて、火は熾きているだろうか。

GORO について

太極拳に惹かれ、早や四十年。踊りでもなく、組織の下請けでもなく、ただのあたりまえの太極拳を、日々稽古しております。スポーツもどきの普及に懸念をいだきます。本来は、華道や茶道という、自分にベクトルが向かう種類の文化と思います。賛同者は非常に少ないのがさみしい(笑)
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