過失あらば赤面すべし、飾るべからず

あたりまえの事なれど、
誰もが上手になろうとか、
達人になろうとか思って
太極拳をしている訳はないという事。
それぞれの、太極拳に対する距離感があり、
向き合い方があります。

たくさん型を知っているとか
えらい先生にならっているとか
大きな団体に入っているとか

主観という、片寄ったモノサシで計って、
優劣を競ったり、
人格を下に置くなどは
愚かな事。

上手い下手は、太極拳においては
基準とはなりません。

笑顔があり、元気がある。
ああ、いいなあ、と
感じれる瞬間を共有できる事。

誇り(矜恃)を持ち、
恥を知る(忸怩)素直さを
太極拳を通して、きっと学ぶことができるでしょう。

GORO について

太極拳に惹かれ、早や四十年。踊りでもなく、組織の下請けでもなく、ただのあたりまえの太極拳を、日々稽古しております。スポーツもどきの普及に懸念をいだきます。本来は、華道や茶道という、自分にベクトルが向かう種類の文化と思います。賛同者は非常に少ないのがさみしい(笑)
カテゴリー: 陰陽 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です